第3 弾は 、 NPO 法人として「ぱぱとままになるまえに」の代表をされている西出博美さんです。 西出さんはこのNPOの前身である任意団体を学生時代に立ち上げました。「ぱぱとままになるまえに、考えよう ぱぱとままになるということ。」をキャッチコピーに活動。これまでにいろんな世代の人を巻き込み、「ぱぱとままになること」について考える機会を提供してきました。
今回は初めて筑坂生(進路委員)がインタビューを行ないました。第 2 弾に続き zoom でインタビューした様子をお届けします。
=現在、NPO法人「ぱぱとままになるまえに」ではどんな活動をされているのですか。
結婚や妊娠、出産を経験していない人たちが、妊婦さんや“おもしろい”家族の人の話を聞けるイベントを、これまで開催してきました。
今は、結婚や妊娠・出産・子育て・家族のことについて発信する「ぱぱままっぷ」というウェブメディアの運営を中心に行っています。いつかこのウェブの記事をまとめた本を出版するのが目標です。
その他にも、過去には女の子限定で生理について改めて知り、考える機会になるようなイベントを行なったり、普段はなかなか入ることのできない助産院へのツアーを行ったりもしました。このツアーは、中学生の修学旅行中のスタディーツアーとしても実施したりしました。
=先日はハフポストでも西出さんの活動とインタビューが掲載されていましたね。
新型コロナウイルスの影響で、子どもたちが全員での登園や登校が難しい状況になりました。うちの子が通う幼稚園は、学年別の分散登園だったのだけど、他のママ友の子どもが通う園では男女別登園が行われてたんだよね。それがすごくモヤモヤして、いてもたってもいられなくなって、noteというブログサービスみたいなものを使って発信しました。
「#ほんとはイヤだな男女別登園」というハッシュタグを作り、声を集めました。そうしたら同じようなモヤモヤを抱える人がいて、反響があり、ハフポストの取材までつながりました。ハフポストの記事はヤフーニュースにも転載され、多くの人に読んでもらえたけど、その分、炎上もしました(笑) いい人生経験でしたよ!(笑)
それでもやっぱり、自分がモヤモヤしたり、違和感を覚えたことをそのまま放置しないで発信したりすることって、とても大切なことだったな、と感じています。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5ee818d4c5b6ddc7bdcaa8fb
=“発信すること”ですか…。確かにSNSは私たち高校生にとっても、とても身近なものですよね 。
そうだね。例えば YouTubeを見るということをとっても、ただ同じ人や好きな人ばかりを時間かけて見ているだけで終わらせずに、たまには違う分や、人気のない人とかをあえて見る中で、その違いを感じるだろうし、自分の気づきにつながると思います。もしできれば、それで終わらず、受け身の、見る側になるだけではなくて、やっぱり、自分から発信するおもしろさも高校生のみんなには知ってほしいな、って思っちゃいます。発信してみると、周りから反応があって、自分自身の足りないところを知ったりして変わっていけるし。少しずつだけど、自分の発信によって1mmでも社会(コミュニティ)が変わっていくことを体感できると生きるのっておもしろいです(笑)
=発信することの大切さというあたりは西出さんが立ち上げたNPO法人とつながるとこ ろがあるのかもしれませんね。そのあたりのお話を聞きしたいのですが、NPOの活動を始めたきっかけは何だったのですか。
学生時代からの身近な年上の友人が妊娠したのをきっかけに、いろんな話を聞く機会が増えました。当時のわたしは、23歳で、若い世代だと、まだまだなかなか結婚・妊娠・出産・子育てって身近ではなくて。
でも、もしかしたら、いつか経験するかもしれないし。そういうときに、話を聞いたことがあったり、妊婦さんに会ったことがあったりしているだけでも心の持ちようが変わってくるんじゃないかなぁって思って。
妊娠した友人がめっちゃおもしろい友だちだったのもあって、「この人の話は、いろんな人に聞かせなきゃ!」って思って、「ぱぱとままになるまえに」という会をひらきました。
でも、イベントを主催して、進行するなんてはじめてだったから、自己紹介に1時間も使っちゃった(笑)失敗も多かったんだけど、参加してくれたみんなが優しかったのもあって、「なかなか妊婦さんの話なんて聞けないから勉強になった」とか、「家族のことを振り返ったり、みんなで考えたりってしたことなかったからよかったよ」って言ってもらえて、味をしめて(笑)どんどん次のイベントをやっていました。
NPO活動の様子。多くの若者と悩みや思いを共有している。
=やりたいことや感じた問題意識に対して行動されてきたのですね。それにしてもすごい行動力…西出さんの今の活動にはやはり筑坂で福祉を学んだことが活きているのですか?
確か私たちの学年は福祉科目ができた最初の年だったから、福祉の授業は先生も手探りな状態だったかな。最初、思っていたような授業ではなかったので、同じように感じていた同級生たちと、「もっとこんな授業がしたい!」って先生に提案したりもしました。
=す、すごい行動力・・・(2回目) では福祉についてはあまり学べなかったということですか?
そういうわけではないかな。それぞれみんなやりたいことがあったから、自主的にやってることもあったし、そういう同級生がいたから、刺激し合っていました。それで、これまた自主的に(笑)手話ができる同級生がいたので、手話を教えてもらって、手話歌を文化祭で発表したり。
=今の福祉の授業でも指文字などを行なうのは、西出さんたちの提案や自発的な活動があったからなのですね。
私たちの時は、授業で勉強する、先生に教えてもらう、というだけではなく、楽しいからやってる!みたいなことも多かった気がします。
=なるほど。与えられるものだけでなく、自分たちで興味関心を持って取り組んでいたのですね。まさに生徒主体で作り上げた学校生活だったということでしょうか。では、その中で最も印象に残っていることは何ですか?
2年次の文化祭。当時、担任だった建元先生(農業科)の提案で、自分たちが作ったお米と野菜を使ってカレーを作り、販売しました。農業を学んでいる人を中心にお米や野菜を育てて、ビジネスを学んでいる人は収支の計算をして。調理を学んでいる人はカレーの調理をする。服飾やデザインを学んでいる人は看板を作る…。みんながそれぞれ得意なことを活かして、一つのことをする。今でもこの体験は、自分の考え方のベースになっていて、NPO法人の仲間も、そんな考えの元に集めました。それぞれの得意を活かし合って、それぞれを大切にしながら、一つの団体でいる心地よさってあります。
どうすれば自分たちが楽しめるかを考えた高校時代。学びも遊びも楽しいことから
=総合学科ならではの出し物ですね。私もやってみたかったです(笑) 今年はコロナ禍で例年通りの文化祭が行うことができないんですけどね…(泣) コロナ禍で自分と向き合う時間が増え自分のできないことに目が行き、私は今すごくネガティヴです。
そういうときは、とにかく自信になるものを摂取しまくるのがいいと思います。例えば私は、英語が苦手だったけれど、このままではヤバい!って思って、とりあえず受かりそうな級だけど、英検を受けました。受験で有利になるような級ではなかったけれど、そこに向かって努力をして掴んだ合格は、たしかに自分の自信になりました。
だからその後も、受験には関係ないけど、植物の検定を受けたり(笑)。なんでもいいからそうした自分を「信じられる」ための経験を積み重ねました。
あと、好きなことがあればとことんやってみたらいいと思います。私の場合は、漢字が好きだったから、「漢検だけは一番いい級まで合格したい!」って目標がありました。朝 7:00に登校して勉強してから、朝の会に参加してました。小さくてもいいから、自分の“成果”を摂取しまくる。小さいのに、小さいけど、モチベーションがあがってくるし、自信につながるのでおすすめです。
昼間のこんなひと時が面白いことを考える大事な時間
=そうなのですね。とりあえずやってみるということが大切ってことですかね。 すみません。もう一つ悩みを聞いて下さいい!(だんだんとお悩み相談室と化すインタビュー・・・)大学進学を考える上において、自分を振り返るためにいろいろな人に 「自分」について話を聞いたのですが、自分の思っている自分と他人の思っている自分が異なっていって、自分が何なのか分からなくなりました(泣)。
自分の思っている自分も他人が思っている自分も実は合っているとは限らないと思うけどな。あとは、自分をどれだけ信じられるかだねえ。思い込みでもいいんだけど。
=というと?
私は、卒業研究で、当時はまだそんなに広まっていなかった食育について研究していたの。大学入試の面接では、教授の前で「食育の教授になります!」と話したんだよね(笑)それでも、結果、大学は合格しました。根拠のない、思い込みのような自信だった気もするし(笑)でも一応、小さないろいろを積み重ねてきたからこそ言えたこと、姿勢があったな、とも思います。
食育について考えた卒業研究。「こども」から「ぱぱまま」へ
=西出さんは「自分」というものを強く持っていたのですね。
いやいや、もちろん悩むこともあったよ。
私は入試のために志望理由書を書くとき、いろんな教科の先生に見てもらったの。でも、先生ごとに添削してくれる場所や言ってることが違う部分もあって、悩みました。
でも、自分が「ここは残したい」「この部分は変えたくない」と思った部分は添削されたとしても残した。いろんな意見を見聞きして、その過程で悩んで考える時間が大事だったな、と思うし、その時間を経て、最終的に決定した自分の考えが、自分の“軸”になったと思います。
悩まない人生なんてつまんないし、ゆくゆくその楽した分、いつか苦労するので、今のうちに大いに悩んだらいいと思います(笑)
=自分の熱い思いを伝えて、大学進学を果たすことができたのですね。 大学入学後は筑坂での学びを活かして充実した福祉の学びをされたのですか。
いえ、最初はすごく意気込んで入ったんだけど、日が経つにつれ大学がすごくつまらなくなってしまったの。それで結局授業にもだんだん行かなくなってしまいました。
=なぜつまらないと感じたのですか。
何となく授業受けて、何となく単位とって、何となくバイトして…ってつまらないなと感じたんだよね。基本受け身だったし。筑坂のみんなの自主性や多様性があたりまえの3年間だったので落差が激しかったかな(苦笑)
=大学生活では、筑坂のような多様性のある場に出会えなかったのですか。
大学内では出会えず、学外に出ました。当時、流行っていたSNSで、同じようなもやもやした悩みを抱えている仲間と出会いました。今でも活動を共にしているのはそのときの仲間です。ヒッチハイクで旅をしたり、富士山まで無一文徒歩の旅とかもしました。
あとはその頃に本当にいろんな人に会っていて。身体的には女だけど、男になりたい友人とかもいて。当時は、今以上にマイノリティでしたが、“A ちゃん“から“B くん“になるプロセスを共に生きる中で見せてもらいました。 “知っているつもり”じゃなくって、いろんな人と出会って、“ホンモノ”をどれだけ知っているかが大事だな、って思っています。実感を持って話せるか、みたいな。
今しかないとチャレンジしたヒッチハイク。当時の若者のはやりでした。
=学生時代にSNSを通じて多種多様な人と出会えたのですね。 先ほどおっしゃっていた「多様性の心地よさ」のように、多様な人たちと出会うことは西出さんにとって大きなポイントなのですか。
そうだね。例えば、「原宿とかのおしゃれな友達1万人とつながっている人」と「若者も、障がい者も、おじいさんおばあさんとか、いろんな1万人の人とつながっている人」 を比べると後者の方が人間味が厚くて、多面的というか…。応用がきいたり、折れない人になっているような気がしています。だから、同じ層の人ばかりと関わるのではなく、常に自分をごちゃまぜの中に置いていきたいと意識しています。
=西出さんにとって、多様性は筑坂時代からずっと続いている学びなのですね。 では最後に筑坂生へメッセージをお願いします!
後輩のみんな!!自分の興味ある事、好きなことは小さなことでもどんどんやってみることが大切だと思います。
PDCA サイクルという言葉がありますが、『日本一おかしな公務員』*と いう本では PdCA でいいじゃん!と書いてあって、DOじゃなくて、小さな“do”をどんどんしよう!と。最後の“A”は、やってみて、うまくいかなかったときは素直にごめんなさい!と謝ろう! (A)という考えです(笑)
筑坂生のみんなには、とにかくdoをしてみて、ダメだったら謝ろう!って気持ちで、どんどんいろんなことをやってほしいなって思っています。やっているときには小さく感じたことが、後になって自分の中の大きなこととつながっていたりもします。ぜひ、“小さなこと”でもいいので、どんどん挑戦してみましょう!
*山田崇『日本一おかしな公務員』日本経済新聞出版社,2019.6
とにかく挑戦してみる、自ら発信していくことで自分も社会も変わっていく。多様性を受け入れるだけでなく、その心地よさの意味にまで目を向けて、さらに自分自身をごちゃまぜにする。そんな西出さんの考え方は今の筑坂生にとって支えになるのではないでしょうか。
筑坂での学びを活かして社会で活躍されている先輩のお話を聞いて、筑坂での学びや活動に前向きになれるような刺激を受けました。西出さんありがとうございました。
文責:進路委員長3B村田、副委員長3A渡辺・3C長谷川