「筑坂人」
筑坂で学んだ先輩たちが今何をしているのか。
これらを取材することで、
なかなか本人以外には見えにくい「筑坂の学びとはなにか?」についてインタビュー形式でレポートしていくシリーズ企画です。
記念すべき第1回目の卒業生は
現在東洋大学ライフデザイン学部人間環境デザイン学科で学ばれている日向野さんのレポートをお届けします。
=日向野さんよろしくお願いします
よろしくお願いします。
=日向野さんは高校在学中から建築やデザインに興味をもって取り組んでいましたね。
はい。もともと建築やモノづくりに興味があったことと、英語を使って仕事がしたいという気持ちがあり、SGH(スーパーグローバルハイスクール:当時)の指定を受け、専門分野も学ぶことができる筑坂に入学しました。
=筑坂ではどのような学びをされたのですか=
SGクラスに所属していたので、1年次は自分の生活と海外がいかに密接な関係にあるか。関係性の先で生活している人々の状況や要因の中に私たちの生活や考え方が大きな影響を与えていることを、1年生の授業の中で様々な教科が取り扱っていく中で「SDGs」を知り、身の回りに見える景色の先まで考える癖がついていったように思います。
そのなかで、キーワードとして持っていた「デザイン」「建築・ものつくり」がどんどん自分の生活環境と結びついて捉えられるようになっていきました。
=そういう意味では最後の卒業研究はまさにその集大成でしたね。
はい、「腰椎分離症という腰椎部の怪我を負った方のために、痛みが軽減できるような椅子の開発」は、患っている自分だからこそ行き着いたテーマだったと思います。
=研究ではどのようなことを大切にしていましたか。
研究過程で、いかに必要としている人のニーズに応えられるかを常に考え、先行研究を鵜呑みにせず、それを自分なりにかみ砕き、また新たな道を考えるというような試行錯誤を繰り返しました。失敗もたくさんありましたが、同じ分離症に悩む同級生の支援もあり、あきらめず何度も施行したことで、被験者が満足する結果を出すことが出来ました。
=卒業研究で得られたことって何だったのでしょう。
そうですねえ。決して立ち止まらず、今向き合っている1つのことに対し複数の道を考え実行する力が私の強みになっていったと思います。
=大学は建築ではなくライフデザイン学科へ進学されましたね。
はい。筑坂の学びの中で、高校生活の中で「ユニバーサルデザイン」に興味を持つようになったのですが、高校で様々な分野の学びをする人同士がいろんな視点から同じテーマについて考える環境に触れたおかげで、大学でも「枠」にとらわれない学びがしたいと考えました。東洋大学の「空間デザイン」「生活環境デザイン」「プロダクトデザイン」を総合的に学べ、それを活用して学生自身が自分の学びたいデザインを見つけられるスタイルが自分にマッチングしていると感じ東洋大学を受験しました。
=大学生活はどうですか??
どこの大学でもいえるのだと思いますが、やはり多くの学生が何を目的に大学に来ているのか疑問に思うことが多いです。その中に埋もれていたら、自分も大勢の一人になってしまう気がしてイライラしている時期もありました。
=筑坂で頑張っていた人が良く陥る筑坂卒業症候群ですねそれ(笑)どのように克服されたのですか?
大学のゼミって多くが3年生になってから入ゼミするじゃないですか?私はやりたいことがたくさんある中で、2年待つことなんてできなかったので、直接師事したい先生に定期的に面談してもらえるよう直談判しに行きました(笑)
=さすがの行動力(汗)
動いてみないといいも悪いもわからないので。
結果1年生から色々な経験を積ませていただいています。
例えば卒業研究の後継として、他大学の学生と協働して介護ロボットのデザインコンテストに出場しました。私たちのチームは歩行をテーマに約半年かけてプロトタイプまで作りました。多く反省のあるロボットですが、私にとっては初めて他大学の方々と1つのプロジェクトを終わらせた第一歩だったので、ロボットの良し悪しは置いておき、印象的な研究になりました。
=1年生から良い経験を積まれていますね。そう言えば大学で海外留学を視野に入れていましたが・・・
はい。すごくいきたいと思っています。ただ、海外に行くことについて私自身「目的をもって行きたい」という想いがあるのと、興味がまだまだ多岐にわたるのでその状況ごとにベストな選択をしたいと思っています。
=というと??
大学からの情報や自身のネットワークの中から、その時の自分の興味(目的)にあった場所、価値ある経験を積める場所に「短期間」でも多く行くようにしています。
1年次にはアメリカのシアトルでインターンシップを行っていました。
ホームレスの女性とその家族を主に支援する団体で一ヶ月ほどですが活動していました。
この研修では初めてホームレスの方々と接することができて、思いの外前向きでそして新しい観点が得られました。
シアトルはマリファナ等が合法なのでそれらに手を出して幻覚が見えてる人も施設にはたくさんいましたしもちろんお酒やタバコに溺れている人もたくさん来ていました。
語り尽くせないほどたくさんの方々がいましたが、ホームレスだろうが、皆さん誰よりも活力がありました。それが私にとって一番の発見でした。
やはりシビアな状況にいる人に対してこそ、そこにいない私のような人間は生を知らなくてはならないのだなと実感しました。私の専攻はユニバーサルデザインで、やはり色々な人のニーズを知ることがデザインを磨く一番の近道だと思いましたね。
=なるほど、日向野さんが国内外のボランティアに積極的に参加しているのはそうした思いからなのですね。昨年も大きな活動をされていましたね。
はい。8月初めから9月半ばまでボストンにあるIHCD(Institute for Human Centered Design)でインターン活動を行っていました。
IHCDはユニバーサルデザインやインクルーシヴデザインの教育や調査などを行っているところで、この分野においてはかなり権威のある研究所です。
ここの所長が私の大学で特別講義を開催された際に知り合い、今回の機会に繋げることが出来ました。
決して大きな研究所ではありませんが、行政や企業、各教育機関と密接に繋がっていることが分かりました。
=機を逃さずつながる力。まさに筑坂で取り組んだことそのものですね。
そうですね。卒研含め、どんどん外に出た経験が生きています。そのおかげで今回もIHCD
で3つのプロジェクトに携わることができました。
ひとつはBench testingと呼ばれるもので、MBTA(マサチューセッツ州の唯一の交通事業者)とDCR(Department of Conservation and Recreation)から依頼され、将来バス停や駅に設置するベンチを8つの候補から選ぶというものです。8つのベンチは様々な背景をもつユーザー及びエキスパートに来訪していただき、評価をしました。私の仕事は彼らに質問をし、各ベンチの評価を見つけること、そしてレポートの執筆でした。現地には私の他にインターン生が4人おり、彼らと共に二日間朝から夜まで質問をし続けたことが印象的でした。
ふたつ目はWebsite Accessibility Researchと呼ばれるウェブサイトのアクセシビリティを評価したものです。アメリカは様々なアクセシビリティに関する法律や規則があり、私たちインターン生は初めの一週間でそれらをみっちり勉強してからプロジェクトに望みました。
最後はUniversal Design Case Study Collectionの製作です。これは私と所長と私の大学の元教授で日本のユニバーサルデザインの先駆者である川内美彦先生と進めたプロジェクトです。IHCDは元々世界中のユニバーサルデザイン事例をウェブサイトでまとめており、所長は日本の事例も増やしたいと考えていました。そのウェブサイトには日本の事例もありますが、確か2つか3つくらいしかないと思います。そこで原因を考えたところ、依頼先に記入してもらう調査書や契約書がすべて英語だからではないかという結論に至りました。私はそれらの日本語翻訳を行い、日本の事例を増やすため、現在は教授と共に成田空港および羽田空港に交渉しています。
=大学2年生でこれだけの活動を・・・今回の活動を振り返ってみて何か感じるところはありましたか?
はい。これらのインターンを通じてユニバーサルデザインに対してどう向き合うべきか、何をすべきか、自分のなかで自覚することが出来ました。インターンやボストンの生活から落胆した面と意欲的に調査したい面がありました。同じ大学の学生とはこういった話は出来ず、今は教授と話をしていますが、それでもユニバーサルデザインやインクルーシヴデザインを理解している方は多くありません。今は自分の中で見識を深め、前向きに捉えていきたいと思っています。
=日向野さんにとっての学びってどういうものなんでしょう。
学ぶということは人間の生命活動の1つだと思います。だからこそ決し止めることは出来ないし、本人が無意識であっても、呼吸と同じように続けていると考えます。
よく「学ぶことが嫌い」「学びを放棄する」という台詞を聞きますが、それは単なる表面的な、人が知覚出来る程度の否定で、本能的には完全に中断することは出来ないと思います。
私たち学生や生徒等が口にする学びとは、教育現場で「与えられた」学びに過ぎず、「自発的な」学びとは異なると考えます。そして私たちが嫌だという学びとは与えられた場合が多く、それを放棄することでその人を否定することは間違っていると思います。学びとは形を持たない概念で、様々な種類があります。箸を使うことで物が掴める、ボタンを押すことで電源が入る、手を挙げることで周りが注目する。私たちの日常には常に学びが付きまとっており、それがあるから今の社会があると思います。勿論学びを伴わずに出来ることもあるかもしれませんが、ほとんどが学びの上にあるでしょう。
なので例え学校の授業、勉強が嫌だと思っても、自分が何か学びたいと思うことを持つことが大切だと思います。その学びは多種多様で、人に何を言われようとも自分が満足するのであればそれは立派な学びだと思います。
=「押し付け」と感じてしまう前に、自分の周りにある「本当の学び」に気づく力の必要性。与えられているものは「本当の学び」をより豊かにしていくためのツールでしかないということですね。そうした学びを実現していくために、筑坂生へ伝えたいことは何かありますか?
筑坂は時には大学より濃いものを、時には高校らしいものを生徒に提供し、そこから「考えるきっかけ」を与えてくれる場所です。偏差値やランキングなどの客観的評価よりも、自分が何をしたいのか、どうありたいのかなどの主観的評価の重要さを自覚させてくれる、ある意味難しい学校でもあります。だからこそ問いを投げ掛ける授業や先生方があり、それに答えることができる生徒が強くなっていくのだと思います。筑坂生活は学年が上がるにつれ忙しくなっていきますが、同時に学びの質は向上し、また自分が進みたい領域も徐々に明確になっていくと思います。
私が筑坂生だった頃は周りとの差によく苛立ち、それをエネルギーにして様々なことを乗り越えていました。その苛立ちこそが今の私まで導いてくれた存在であり、これからの私を作ってくれると信じています。様々な体験をこの筑坂で経験出来ると思いますので、是非きっかけを逃さず、自分の求めることに執着した筑坂生活を送ってください。
日向野さんの学びの考えは、高校生とか大人とかに捉われないあるように感じます。
今後の彼女の活躍が楽しみでなりません。日向野さんありがとうございました。
(文責:藤原)