「筑坂人」
筑坂で学んだ先輩たちが今何をしているのか。
これらを取材することで、
なかなか本人以外には見えにくい「筑坂の学びとはなにか?」についてインタビュー形式でレポートしていくシリーズ企画です。
第2弾は、台湾の國立臺灣體育運動大學に進学しサッカー漬けの日々を過ごしている山中鴻齋さん(2015年度卒)です。
現在は仲間と起業し、台湾サッカーの環境を向上させ、盛り上げるために日々奮闘しているようです。今回は、zoomでインタビューした様子をお届けします。
インタビュアー: 図書司書 古井(筑坂19期卒業生)
コーディネーター:進路指導部主幹 藤原
=台湾とzoomが繋がらない事態発生から15分経過
お疲れ様です、お久しぶりです。
俺、機械系弱いからzoomよくわからなくて・・・。
=台湾の大学はzoomを使わないのですか?
こちらの大学では、zoomじゃなくて学校指定のアプリを使うんです。
=そうなんですね。台湾での生活はどうですか?
好きなことできて、いい感じです!!!
=「好きなこと」とは?大学での様子を聞かせてください。
自分は台湾にある国立の体育大学でスポーツ学を専攻しています。その中でもサッカーを専門に学んでいるのですが、勉強・講義というより実技中心のカリキュラムになっていて、机に座るのが苦手な自分にはもってこいのカリキュラムです(笑)
ただ、今はプレーヤーとしての自分の時間より、サポートする側に多くの時間を割いています。今にして思えば不幸中の幸いなのかなと思いますが…実はこちらに来て2度の大怪我をしたことが転機でした。本当に動けなくなって、好きなサッカーが思うようにできなくなったことで、自分の人生を真剣に考えました。特に2回目の大怪我から復帰したときには、ピッチ外のサッカーに興味が湧きました。
=どのようなことに興味が湧いたのですか?
台湾にはプロリーグはないんですよね。アジアの他国と比較しても、台湾は政治・経済的に安定しています。台湾より難しい国でもサッカーのプロリーグがあるのにココにはないんです。だから、台湾でもきっとプロリーグは実現できると思ったら、いてもたってもいられなくて協会に交渉を始めていました(笑)。そうした交渉を続けていくうちに、気づいたら、同じような考えを持つ人(台湾サッカーの環境改善を志す人)が周りに集まってきたんです。
この時、台湾サッカーのマーケットと自分に大きな可能性を感じて始めました。
台湾サッカーが未開発の状態でのこっているタイミングだからこそ、今後の発展にたいして、日本語と中国語が話せて、両国のサッカーとつながっている自分にできる事があるんじゃないか、自分にできることをやりたいと思ったんです。
ちょうどその時、台湾にいらしていた熊谷先生(元筑坂教諭・現在水都国際教諭)とお会いし、自分で頭を使って考えることの面白さを教えてもらいました。サッカーとは異なるジャンルですが、自分の可能性を、常にそして柔軟に広げていこうとする姿勢に刺激をもらって、そこからスポーツマネジメントを自己流で勉強して、在学中にサッカー専門のマネジメント会社を仲間と起業することができました。
HP:
https://www.bande-taiwan.com/ (BANDE・絆德 TAIWAN HP)
Twitter:
@BANDE_TAIWAN
一緒に活動する会社のパートナーは、台湾のジャーナリスト(サッカー以外のプロスポーツを日本で取材していた)、サッカーの指導者などです。それぞれ違うフィールドですけど、共通する想いがあります。起業するまでにすごく時間をかけて準備しました。2年間くらい連絡を取り合いながら、一緒にやっていきたいって思いが強くなって、現在に至っています。
台湾は、現在プロバスケットボール、プロ野球以外はほとんどプロリーグがありません。でも、資本のある企業は多く、どうしたらサッカーのフィールドに企業から目を向けてもらえるかに力を入れて活動しています。将来的にはプロ化を実現させてチームのコーディネートや選手のマネジメントに業務を拡大できればと考えています。
=素晴らしい行動力ですね。たしかに高校でもサッカーばかりしていた印象でした。台湾に渡るときもプロなど明確なヴィジョンがあったのですか?
いや、実は何も考えていなかったんです。海外で学ぶことに意欲があったというわけでもなかった。日本での進路も考えて見たんですが、どうしても自分のやりたいと思えるものが見当たらないのと、高校時代はサッカーのことばかり考えていて成績もよくなかった(笑)。そんな時、母親から東京の白金にある台北駐日経済文化代表處で話を聞けると聞いたので、その日になんとなくそこに行って、台湾の大学の話を聞いて、そのまま受験しました。
自分自身が日本語と中国語を両方話せたことや、親族も住んでいて年に1回は行き来しているので、台湾の選択肢もありかなと。あまり先のことは考えてなかったですね。ある意味「なすがままよ!」って心境でした。
=筑坂はキャリア教育をとても大切にしているなかで、その事態は由々しい状況。詳しく聞かせてください。
実は、筑坂は受かると思わなくて、私立でサッカーする気満々だったんですよ。(笑)
でも筑坂受かっちゃったら、中学の先生に国立行かなきゃダメだよって言われて….
若葉ウォーク(駅前モール)に行く感じで受験番号見に行って、受験番号あった時最悪だと思いました。まじで、びっくりした。「最悪、受かってる」って。
入学して、学校で会う友人はみんないい人で。すごくよくしてもらっているのになぜか違うって勝手にライン引いて、「なんで筑坂入っちゃったんだろう」っていう後悔を引きづってました。自暴自棄っていうか1日1日をどう過ごそうかって感じで、他の人が何してようが、自分のやりたいことしてようが、見えてなかったです。見る気もなかったし、余裕もなかった。こんなはずじゃなかったのになって…。
いや、今考えるとどうしてそんなにイキガッてたの?っていうくらい。思春期ですね。完全にガキでしたね。
実は、周りの人と一緒にいたくなかった時期、川越をめっちゃ散歩したんですよ。校門でUターンして、小江戸川越観光に行きました。だから川越についてめっちゃ詳しくなりました(笑)。途中から学校に来た時は、筑坂警備員のおじちゃんがそっと門を開けてくれて、どんな時でもにっこり声をかけてくれた。お世話になったな〜〜〜。
=みんな卒業する時に、警備員のおじさんと写真撮りますよね。ということは、筑坂での生活は山中君にとってはマイナスだったってことかな?
そう思われるかも知れないんですけど、
でも、今振り返ると筑坂の三年間が無かったら、今はないと思います。
筑坂で、何も考えずに好きなことしかしないって過ごしたなかで、気付けたことがいっぱいある。特に好きだと思ってたことが、単に楽なほうの選択だときづいて、「こんな生活やりたいならいつでもできるじゃん。実は全然面白くない」と感じることができたのは大きかったですね。
漠然とですが、このままじゃだめだなという想いが徐々に芽生えていたのは確かです。それが何かわからない中で、まずは向こうでやりたいこと、やれることをやってみようという気持ちで台湾に進学しました。
あと筑坂には、やることを見つけた人・見つけたいと思う人が、一人ひとり違うことにチャレンジしていた。誰もが同じでないことを当たり前のようにとらえていたので、その時やらないという選択をしていた自分への批判もなく、受け入れてくれていました。
筑坂じゃなかったら、同質性の高い環境の中で、枠にはまっていく自分に気づかず、ただ普通にサッカーして、ありきたりな大学生になってたと思います。
=やらない選択肢をした生徒は、その生徒なりに何かを見つけるための時間が流れているんだよね。先生たちはそのきっかけの種をまいてくれていたり、声掛けをしながらも他のところよりは待つ姿勢は強いかもしれませんね。山中君にとっては充電期間だったのかな?
そうですね。筑坂はやるかやらないか、学ぶか学ばないかも自分次第だから。自分は、他の言語(中国語)が話せて、台湾に土地勘もフィールドもあった。そうした今あるものを掘り起こしてみると意外と掘り出し物が見つかった。自分を掘り起こそうという気持ちになるまで力を充電できたからこそ今があるように思います。
=将来のビジョンの実現に向けて、今後どんなアクションを考えていますか?
まだ完全には自分がやりたいことが軌道に乗っていないので、今は、チャンスをいただけるなら何でも挑戦してみたいと思います。そうしたら、いろんな視野とか視点が生まれ、きっと自分の好きなことに活かせると思うので。
ここ最近では、日本から来た小学生のサッカーチームの帯同、コーディネート、子どもたちのサッカースクールのコーチ、社会人サッカーリーグ(台湾においてはNO1リーグ)の日本人選手や監督の通訳もしました。
これからは起業の傍、塾のサマーキャンプの講師もします。
あとは、大学院で経営学を学ぶ予定です。
=山中君が講師・・・(いい意味で笑いが起こる)
いや、俺は言いましたよ。やったことないって(笑)。
それでも良いって言われたんで、こんな自分を必要としてくれるなら自分にできる事を頑張ってみます!!
ただこうして教える立場に立って今言えることは・・・・。
先生って大変だな~って。俺、一人ひとり先生に謝りたいですもん。(みんな爆笑)
実は自分のこれまでの経験やフィールドの中に、まだ見えていない可能性がたくさんある。新しいことをするというだけでなく、今あるものを見つめなおすだけでもワクワクすることが起こるかもしれない。そんな「好き」、「まずやってみる」にこだわって道を切り開いた先輩から見えてくることもたくさんあるのではないでしょうか。
筑坂人のまた違った面白さに触れることができたと思います。山中さんありがとうございました。
(文責:藤原)